世界から少しずれた誰かの、声にならない叫び。ささやかな祈り

サイレント・レジスタンス 25 束の間の安息

サイレント・レジスタンス 25 束の間の安息

第25話 束の間の安息


 十分ほど後、僕と平石は青と白の銃を段ボール箱にしまい、裏通りを並んで歩いていた。


 通りには路上駐車の車がずらりと並んでいる。


 周囲の地区から逃げてきた人たちなのかもしれない。


 車の中でじっとしている人。荷物を抱えて路肩に座り込んでいる家族。どこへ行けばいいのか分からず、歩き回っている人。


 この中に、あの青と白の銃を持った人間もいるのだろうか。


 探せば仲間が見つかるかもしれない。


 だが、今の僕たちにはそんな余力はなかった。


 馬鹿な喧嘩をしたせいで、身体中が痛い。


 平石の顔も腫れている。


 たぶん僕も同じだ。


 試合後のボクサーみたいな顔で、二人とも無言で歩いていた。


 しばらくして、古びたホテルが見えた。


 入口のドアは開いたままだった。


 中を覗く。


 ロビーにはソファやテーブルが雑然と置かれ、その周囲に何人もの人が座り込んでいた。


 宿泊客というより、避難してきた人たちに見える。


 小声で話す者もいるが、ほとんどは黙っていた。


 僕と平石は中へ入った。


 フロントには一人だけスタッフがいた。


 パソコンを操作している。


 平石が僕の横で手話をした。


  〈君がやってくれ〉


  〈何で?〉


  〈俺、喋れない〉


 そうだった。


 僕はカウンターへ行った。


「部屋、空いてませんか?」


 男性が顔を上げた。


「ダブルなら一室あります」


「あ、それでいいです」


 言ってから少し妙な気分になった。


 男二人でダブル。


 まあ、今さらどうでもいい。


「こちらへ入力をお願いします」


 タブレットを渡された。


 僕は適当な名前を入力した。


 正直に書く気にはなれなかった。


 部屋のカードキーを受け取り、平石とエレベーターへ向かった。


 二階だった。


 部屋へ入る。


 中央に大きなベッドが一つ。


 壁際には小さなソファ。


 古びた家具。


 高級とは程遠い部屋だったが、今の僕には宮殿に見えた。


 リュックを床に下ろす。


 同時に、全身から力が抜けた。


  〈身体中が痛い〉


 僕が手話すると、平石も壁にもたれながら頷いた。


  〈俺もだ〉


 自業自得だった。


 平石は窓へ行き、カーテンを少しだけ開けた。


 外の様子を窺っている。


  〈ジイさんたちが警官にペットボトル投げてる〉


 少し面白そうに手話した。


 僕も窓を見た。


  〈やめときゃいいのに〉


 平石はまだ見ている。


  〈休めよ〉


 僕が言うと、平石は首を振った。


  〈君が寝ろ。昨夜ほとんど寝てないんだろ〉


 上着を脱ぐ。


 両肩が痛んだ。


 殴り合いのせいなのか、ここ数日の疲労なのか、もう分からない。


 僕は冷蔵庫を開けた。


 中には飲み物が何本か入っている。


 平石が尋ねた。


  〈いつから街はこんな状態なんだ?〉


 僕は少し考えた。


  〈分からない。でも僕たちが気づくより前から、おかしくなってたんだと思う〉


  〈あれ、本当に警察官と自衛官なんだよな?〉


 平石はまだ信じ切れていないようだった。


  〈暴力団とかが制服着てるんじゃないよな〉


 僕は首を振った。


 それは僕にも分からない。


 ただ、あれだけの規模で偽物を用意できるとは思えなかった。


 平石が苛立ったように手を動かした。


  〈これからどうする?〉


 僕はベッドに腰を下ろした。


  〈街を逃げ回ってる時、あいつらに抵抗してる人たちを見た〉


  〈抵抗してる人?〉


  〈青と白の銃を持ってた〉


 平石が箱を見る。


  〈これか?〉


  〈そう〉


 僕は頷いた。


  〈コンビニで何人か見た。警官に襲われた時、これで倒してた〉


  〈話したのか?〉


  〈そんな余裕なかった。助けてもらって、そのまま別れた〉


 少し考えてから付け加えた。


  〈でも、その中にろう者がいた。手話も使ってた〉


 平石の表情が変わった。


  〈仲間がいるってことか〉


  〈たぶん〉


  〈この銃を作った連中も?〉


  〈いるんだろうな〉


 平石はしばらく考え込んだ。


 そして僕を見る。


  〈何とか会えないかな〉


  〈僕もそう思ってる〉


 それ以上、話すことはなかった。


 疲れ切っていた。


 夜になると、二人はダブルベッドの両端に身体を横たえた。


 身体中が痛いのに、なぜかすぐには眠れなかった。


 平石もまだ起きている。


 僕は天井を見たまま、ゆっくり手を動かした。


  〈子供の頃の話なんだけど、両親は僕を普通学校に行かせたくてね。特に母親は、僕が耳が聞こえないって事実を、なかなか受け入れられなかったんだ。案の定、学校では酷い劣等生だったね。学校の先生なんか、僕を目の敵にしてたさ。無理もない、右に行けって言えば、左に行くし、左に行けって言えば、右に行くし……癪に障るんだろうね。ろう学校では指差してくれるんだろ? そんなのすらなかったんだ〉


 僕は独り言のように手を動かした。


 平石はじっと僕の横顔を見ていた。この男もこんな話をするんだ、とでも思っているように。


  〈何しろクラスメートは……異常なほど僕をいじめた〉


 話はそこで終わるべきなのに、僕の手は勝手に言葉を紡ぎ続けた。


  〈だから死のうと思った〉


 僕の手は語り続けた。


  〈その日は大雨で川が増水していたんだ。濁流の中に身を投げて死のうと思った〉


 僕は目を閉じた。


 一筋の涙がこぼれた。


  〈辛かったぜ〉


 僕の手話は、嗚咽するように小刻みに震えていた。


  〈泳げないから、死ぬのは確実だった。でも怖くてできなかった。何事もなかったかのように帰宅して、にこやかに夕食を摂った。母親は相変わらず不機嫌だったし、父親は相変わらず呑んだくれていた。僕が死んだら、この人たちは僕から解放される。その後は、どんな顔をして暮らすんだろうって思った〉


 そこで僕の手が止まった。


 長い悪夢から、急に目を覚ましたような気分だった。


 平石はしばらく何も言わなかった。


 そして、ゆっくり手を動かした。


  〈悲しい顔に決まってるだろ〉


 平石が少し怒ったように見えた。


 少しだけ肩の力が抜けた。


 しばらくして、平石が真顔に戻った。


  〈今日見た連中だけど〉


 僕は彼を見る。


  〈あれは普通じゃない。俺が知ってる警察官じゃない〉


 平石が続ける。


  〈誰かに操られてるように見えた〉


 僕は頷いた。


  〈僕は感染症だと思ってる〉


  〈感染?〉


  〈アイドラゴンでもそう言ってた。感染した人間は声に反応する〉


 平石は今日の自衛官を思い出したようだった。


 僕が叫んだ瞬間、こちらへ向かってきた男たち。


  〈確かに、あれは変だった〉


  〈だろ〉


 平石はしばらく黙っていた。


 やがて強く手を動かした。


  〈このままやられっぱなしで終わるのは嫌だ〉


 僕は天井を見ながら頷いた。


  〈まずは仲間を探そう〉


 平石も頷く。


 ようやく、次にやることが決まった。


 その夜、僕たちはダブルベッドの端と端に身体を横たえた。


 どちらも顔は腫れ、身体中が痛かった。


 それでも、久しぶりに屋根のある場所で眠れる。


 僕は目を閉じた。


 平石もすぐに動かなくなった。


 そして二人は、泥のように眠りに落ちた。

つづく

夢を見ていた。

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